深法山 金毘羅院について

当山の由来

由範和尚

今から、およそ6世紀前、前淋宗上人(ぜんりんしゅうじょうにん)が讃岐から備中矢田に勧請(かんじょう)し奉った『金毘羅大権現』を1930年、金毘羅院に奉迎(ほうげい)致しました。
昭和35年に福地薬王山大福寺(しろちやくおうざんだいふくじ)の一部を借り、開祖明海和尚(めいかいおしょう)が布教活動を始めた。
昭和51年に県知事より寺院規則が認証され単立寺院と成り、宗教法人深法山金毘羅院として、次々と広島、島根、鳥取と分院を作り布教を広めた。しかし、開祖明海和尚が58歳の若さで生涯を閉じた。
その後、昭和61年に2代目住職を弟である幸範和尚(こうはんおしょう)が明海和尚の思いを受け継ぎ77歳まで布教活動を続けた。
現在、幸範和尚の息子である由範和尚(ゆうはんおしょう)が3代目住職を務めている。

勧請とは、神仏の分霊を請(しょう)じ迎えること。
奉迎とは、身分の高い人をお迎えすること。