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今週のご挨拶


12月4日

【悟りって何だろう?】

共にお坊さんになるための修行をした仲間数名と、週に一度仏教の勉強会をしています。
勉強会と言っても、私はほとんど教えてもらう立場なのですが、インドの古い仏教論書をテキストにして、「人の心の成り立ち」や「悟りとはどのような状態か」とか「正しい修行のあり方」などを学んでいます。
仲間は全国に散らばっているので、どこかに集まるのではなくパソコンの「スカイプ」という無料で出来るテレビ電話を使って勉強会をしています。まったく便利な世の中になりましたね。
この勉強会を立ち上げてかれこれ2年近く経ちますが、学べば学ぶほど新たな発見があり、また仏の教えの奥の深さに毎回驚いています。
ちょうど今回の勉強会でとても面白いことが書いてあったのでご紹介したいと思います。


今回は菩薩が修行の末に最初の大切な悟りを開いた時の心境についての勉強でした。
というと、なんだかおとぎ話をしているような、自分とは遠くかけ離れた話に聞こえますね。

ところで、「菩薩(ぼさつ)」と聞くと、どのようなイメージがわきますか?
観音様もお地蔵様もそれぞれ菩薩様です。だから偉い仏様といったイメージがわくかもしれませんね。
もちろん観音様もお地蔵様もとても偉い仏様ですが、実は菩薩というのは悟りを開くために修行を積んでいる人のことを言います。
その中でも観音様やお地蔵は菩薩の中でもかなりレベルの高い、悟りに近い仏さまだと言えます。

次に「悟り」と聞くとどんなイメージがありますか?
何となく何があっても動じない、無の境地といったイメージがあるかもしれません。
では「悟り」とは何を「悟る」のか?というと…
それこそ途方もなさ過ぎて想像がつきませんよね。

しかし、インドの古い論書、アサンガ(漢訳 無著【むじゃく】)という人が書かれた『摂大乗論(しょうだいじょうろん)』という本をテキストに使っているのですが、その本には「悟り」とはこういうものだ、と書かれています。そしてその記述がとても面白いものなのです。

「悟り」とは何を「悟る」のかというと、この世界というのは全て自分の心が作り出したのものに過ぎない、ということを悟ることです。
どういうことかというと、私たちは今まで生きてきた中で色んな事を経験し、色んな言葉を学び、たくさんの時間をかけて思考してきました。そうすることによって、人は自分の見たいように世界を見るようになるのです。

例えば、阪神タイガースが好きな人は阪神を見ると嬉しくなりますし、、逆にジャイアンツを見れば嫌な顔をしたりしますよね。逆もまたしかりです。
そのように、自分の好みや学んできた言葉によって、人は色々なものにレッテルを貼るようになります。言わばそのレッテルだらけの眼鏡をかけて世界を見ているのようなものなのです。

しかし、修行をすることによってその眼鏡をはずし、ありのままに世界を見ることが出来るようになります。
それが菩薩が得る、最初の大切な「悟り」だと説かれるのです。
そしてその「悟り」を得ることで菩薩は極めて大きな喜びを得て、またさらに悟るための修行をするのだということです。

「悟り」と聞くと達観した、どことなく枯れたようなイメージがありますが、実はここで語られているように、大きな喜びをもって迎えられるものなのだ、と聞くだけで今まで持っていたイメージが大きく変わりますよね。

そしてその喜びの心をもって、自分だけではなく他の人たちの為にいのちを使う。これが仏教のあり方なのです。
日本でお寺と聞くと、どうしてもお葬式のイメージがついて回るので、何となく暗い、湿った印象を持たれがちですが、実はこんなにも明るく、希望に照らされた教えなのだ、という印象に変わっていただければ幸いです。
自分たちももっと勉強をして、もっとわかりやすく、そして自らの体験をもってお話しするために、もっと精進していこうと思います。



12月になりました。
今年もあと1か月。色々とお忙しいと思いますが、体はお大事になさってください。

                               合掌



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